ヴァナキュラーなものの魅力
8/5(金)のうめきたTalkin'About「暮らしの中のヴァナキュラー
〜民俗考現学で読み解く日常の『なぜ?』〜」には、
オンライン含め、33名の方にお集まりいただきました。
民俗学には、昔はどこにでも存在したけれど、
現代では消えつつある、あるいは地方に残されている
習俗を研究する、というイメージがありますが、
島村恭則先生によると、民俗学は、
「人間を<俗>の視点で研究する学問」なのだそうです。
今和次郎という人は、カフェーの女給の服装や、
新宿の飲食店の分布、お嬢さんの化粧部屋にあるもの、
関東大震災の後に建ったバラックなど、
今、目の前にあることを観察して比較するという営みを
「考現学」と名付けて実践しましたが、
なぜ、そういう振舞いが登場するのかを、
今だけからではなく、過去にさかのぼって考察し、
謎を解き明かしていく態度を、島村先生は
「民俗考現学」と名付けておられます。
新しいシューズを下ろす時に、
わざと靴を汚したり、裏にまじないを書いたりするのは、
葬式の忌みを避けるためのものだということ。
喫茶店でのモーニングが定着するようになったのは、
水道が引かれ、井戸端会議がなくなった頃のこと。
人が亡くなった場所にペットボトルが供えられるが、
それは、かつては井戸ごとに味が違い、
水を供えると帰る場所を迷わないと信じられていたから。
勇気や夢や感動を与えるといった言い回しは
魂は分けて与えることができるという考え方があるからで、
お中元やお歳暮といった習慣は本来、
ものに魂をつけてあげたりもらったりしているもの。
こういうお話を、島村先生からいただきました。
参加者の方々からは多くの質問や意見をいただきましたが、
社会の中にある非公式的な要素に注目する楽しさや、
みんなが参加して研究を深めていける可能性が、
民俗学の魅力なのだということを、改めて知りました。