5/30(火) Walkin’About @北野(大阪市北区)
次回のWalkin’Aboutは久々に平日夜の開催。大阪・キタのど真ん中を探ります。
自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき 「Walkin’About @北野(大阪市北区)」
開催日:2017年5月30日(火)
集合時間・場所 18:30 @扇町キッズプラザ1F
再集合時間・場所 20:15 @同上 参加無料
北野とは、阪急・阪神・地下鉄「梅田」駅の南東に位置し、角田町、小松原町、堂山町、神山町、兎我野町、太融寺町、野崎町、南扇町の8町会からなる地域です。
日本書紀や古事記には、仁徳天皇が兎我野の地で鹿の鳴く声を聞いて秋を涼んだというエピソードが出てきます。嵯峨天皇の勅願で空海が太融寺を創建したのは弘仁12年(821)。承和10年(843)には綱敷天神社が創建されました。当時は現在の御堂筋より西側は海で、東側は松が生い茂る天満の森でした。
北野村の名前が登場するのは、室町時代のこと。村の南側に位置する西寺町は、慶長20年(1615)の大阪夏の陣後に寺社が集められて形成しました。江戸時代には大阪三郷(北組・南組・天満組)の北に隣接した村で、東部は家が建つ町場に、西部は田園地帯となっていました。
明治7年(1874)に梅田停車場(現JR大阪駅)が誕生し、明治38年(1905)に阪神電気鉄道が、43年(1910)に箕面有馬電気鉄道(現・阪急電鉄)が梅田に終着駅を開設し、大阪の玄関口となったことで、北野の西部にも洋風建築が増えていきました。昭和5年(1930)には御堂筋が拡幅され、8年(1933)には地下鉄駅が開業したことで界隈は賑わいを増し、飲食店・酒場・ビジネス旅館・社交場・レジャー施設などが数多く集積しました。
太平洋戦争では空襲の被害を受けましたが、やがて商工業の中心地として復興を遂げていきます。昭和27〜28年(1952〜53)には阪急東通商店街が形成され、角田町、小松原町一帯は阪急資本を基軸とした開発が進んでいきました。周辺の繁華街には喫茶店・映画館・ダンスホール・クラブ・ライブハウス・演芸場・劇場など、文化を胚胎する場が時代時代に息づいてきました。そして今もなお、北野の地は大阪キタの繁華街の中心地であり続けています。
今回はこの街を、みなさんの視点で切り取っていただきます。
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“Walkin’About”は、参加いただくみなさんに、思い思いのコースをたどっていただく
“まちあるき”です。参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと、解散。
約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験を発表いただき、シェアします。