『世界史の構造』 柄谷行人 著
柄谷氏は、氏族社会、古代国家、世界帝国、普遍宗教、近代国家、産業資本、グローバリゼーションへと世界史の流れを見渡し、「交換様式」から社会構成体の歴史を見直し、以下の4つの交換様式の変遷として整理する中から、現在の資本=ネーション=国家を越える展望を開こうと試みています。
交換様式A:互酬制(氏族社会)
交換様式B:略取と再分配(アジア型帝国、古典古代、封建制社会etc.)
交換様式C:商品交換(資本主義社会)
交換様式D:バージョンアップした互酬的交換(普遍宗教)
ごく平たく言い直すと、人間がつくる社会において、経済的関係のパターンは、贈与(贈り、贈られる)、略取(権力を背景に奪い、再分配する)、商品交換(お金を介して取引する)のいずれかになる。
そして商品交換の様式が支配的になり、その齟齬が大きくなった現代社会の先に、互酬的交換がバージョンアップした形態が登場することを予期している、という話です。
僕らは今、商品交換様式Cが支配的な社会に生きているわけですが、この本でドキッとするのは、柄谷氏が「資本主義的商品交換のフェーズ」を予期していることです。
産業資本主義の成長は、つぎの三つの条件を前提としている。
第一に、産業的体制の外に、「自然」が無尽蔵にあるという前提である。
第二に、資本制経済の外に、「人間的自然」が無尽蔵にあるという前提である。
第三に、技術革新が無限に進むという前提である。
だが、この三つの条件は、1990年以降、急速に失われている。
第一に、中国やインドの産業発展は大規模であるために、資源の払底、自然環境の破壊に帰結する。第二に、中国とインドには世界の農業人口の過半数が存在した。それがなくなることは、新たなプロレタリア=消費者をもたらす源泉がなくなるということだ。以上二つの事態は、グローバルな資本の自己増殖を不可能とする。
もちろん、資本の終わりは、人間の生産や交換の終わりを意味しない。資本主義的でない生産や交換は可能であるから。しかし、資本と国家にとって、これは致命的な事態である
このとき、国家は、何としてでも資本的蓄積の存続をはかるだろう。そのとき、商品交換様式Cがドミナントである世界は、国家による暴力的な占有、強奪にもとづく世界に退行する。したがって、資本主義の全般的危機において最も起こりやすいのは、戦争である。ゆえに、われわれは資本主義経済について考えるとき、国家をつねに念頭においておかねばならない。