7/9(日) Walkin’About @高槻市
7月のWalkin'Aboutでは、高槻を歩きます。
今回は高槻市役所の方にもご参加いただき、
「高槻市の定住人口を増やすために必要なこと」を
テーマとして回ってみたいと思います。
自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき「Walkin’About @高槻市」
開催日:2017年7月9日(日)
集合時間・場所 15:00 @阪急高槻市駅改札
再集合時間・場所 17:00 @同上 参加無料
高槻市は京都市と大阪市のほぼ中間に当たり、大阪府の東北部に位置しています。北は北摂連山、南は淀川に面し、東は島本町に、西は茨木市に接しています。
高槻に人が住み始めたのは、約2万年前の旧石器時代のこと。弥生時代になり、安満遺跡では三島地方で最初の米作が開始されました。日本でも有数の古墳群地帯で、真の継体天皇陵とされる今城塚古墳など古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存しています。
南北朝期には足利尊氏配下の入江左近将監が城館を設け、戦国時代にはキリシタン大名の高山右近が高槻城主となり、日本のキリシタン史上に輝く足跡を残しました。江戸時代には永井氏の領地として発達し、城下町も発展した。
明治4年に大阪府に編入され、明治7年には城郭は破却されています。
市制が敷かれたのは昭和18年(1943)。その後工場の誘致、住宅等の建設により、田園都市から産業都市へと発展していきました。昭和35年頃からは人口が急増。これに伴い学校建設を中心とする公共施設の整備・拡充などが行われました。また国鉄高槻南駅前市街地再開発など、都市の基礎となる骨組づくりに取り組んできました。
市街地を南北に二分してJR東海道本線と阪急電鉄京都線が並行して走り、北部丘陵地は名神高速道路が、中心地南部は東海道新幹線が、それぞれ東西に横断しています。市域の中心は、旧高槻町・芥川町で形成され、主要幹線道路の西側には近代的な工場が建ち、周辺農地は宅地化され新興住宅に変貌しています。
今回はこの街を、みなさんの視点で切り取っていただきます。
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“Walkin’About”は、参加いただくみなさんに、思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。
参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと、解散。約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験を発表いただき、シェアします。