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8/24(木) Walkin'About@西九条(大阪市此花区)

8/24(木) Walkin'About@西九条(大阪市此花区)

 

次回のWalkin'Aboutでは、8/24(木)の夜に
西九条を歩いてみたいと思います。

自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき
「Walkin’About@西九条(大阪市此花区)」

開催日:2017年8月24日(木)
集合時間・場所 18:30 @JR西九条駅改札 
再集合時間・場所 20:15 @同上  参加無料 

 現在の此花区は、かつては淀川河口のデルタ地帯であり、多くの中洲がありました。伝法川の河口には大きな澪標が立てられ、大坂市街へ遡上できない大型船から小舟に荷物を積み替える地であり、物流の集散地として栄えました。

 貞亨元年(1684)、河村瑞賢による治水事業の一環として新堀(安治川)が開削されましたが、この時に「衢(みち)を切って淀川の流れを直した」ことから「衢壊」(くじょう)の名が生まれました。安治川開削により物流の拠点は安治川沿いに移り、伝法の港湾としての地位は一時的に低下しています。

 明治期に川口が開港場となり、また松島新地が開設されたことで、後背地の九条は「西の心斎橋」と称されるほどの賑わいを見せました。大正期から昭和初期には船会社、倉庫会社、銀行等が競うようにビルディングを建設し、九条地区のメインストリートとなりました。昭和2年(1927)には北港の埋立造成が始まり、住友電工、住友金属、住友化学、日立造船、大阪ガス、汽車製造の「西六社」と呼ばれる大規模工場群が完成しました。

 第二次世界大戦では空襲により壊滅的な被害を受けましたが、その後復興を遂げ、高度成長期は公害に見舞われつつも活況を呈しました。80年代以降は産業構造の転換により、工場の地方・海外移転が進みましたが、2001年(平成13年)にはユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が開業。アミューズメントエリア・ソフト産業地区への転換が進められています。

 今回はこの街を、みなさんの視点で切り取っていただきます。

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“Walkin’About”は、参加いただくみなさんに、思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。
 参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと、解散。約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験を発表いただき、シェアします。

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