「再チャレンジできる町」のデザイン
9/7(火)のうめきたTalkin'About「排除しない、持続可能なまちづくり」には、
46名もの方にお集まりいただきました。
関西学院大学の白波瀬先生からは、
釜ヶ崎はどういうまちだったのか、現在どうなっているのか、
現在進んでいる西成特区構想と、あいりん総合センターの建替え、
そしてこのまちの将来展望について話題提供いただきました。
今回は、お一人3分まででご意見や質問をいただき、
最後にまとめて白波瀬先生にコメントいただく形を取りました。
現場を持って活動されている方、見識の広い方が多く、
もちろん議論は尽くせていないのですが、
釜ヶ崎の現状についてどんな議論がなされるべきかが
浮き彫りになったように思います。
釜ヶ崎は第二次大戦後、簡易宿所が建ち並ぶ地域として復興し、
高度成長期には大阪万博建設と、地下鉄や道路などの
都市基盤整備を末端で担う単身日雇労働者の
寄せ場として成長していった町です。
そこで暮らしていたのは、地元の人ではなく、
様々な事情で流れ流れてこの町にやって来た人たちでした。
バブルが弾けた後、そして90年代後半に
公共事業が大幅に削減された頃に、建設の仕事がなくなり、
多くの日雇い労働者がホームレスに転落しました。
かつて労働者が泊まっていた簡易宿所(ドヤ)の多くは、
月貸しのアパートに商売替えをし、生活保護を受けて
暮らす人たちがそこに暮らすようになりました。
また一部の簡易宿所は、外国人や国内旅行者向けに
宿泊事業を展開するようになりました。
ここ数年は、インバウンドの急増によりその動きが加速し、
外国の資本がドヤを買い、旅行客向けのホテルに変える、
という動きも起こってきています。
こうした釜ヶ崎のあり方を抜本的に見直し、
西成区、ひいては大阪市を活性化させていこう、
という動きが、橋下市政の時にスタートします。
この動きはトップダウン型のように思われていますが、
実際には釜ヶ崎で多くの実績をもつ団体が連携して
ボトムアップ型の取組として進められているそうです。
この西成特区構想の中から、「あいりん総合センター」の
建替えプロジェクトが起こりました。
JR・南海新今宮駅の南東に建つセンターの建物には
もともと職業安定所と社会医療センター附属病院、
市営住宅が合築されていましたが、病院と住宅はすでに、
南側にあった小学校跡地に新築移転されています。
センターの跡地には、労働エリアと、住民の福利・
にぎわいエリアの設置がイメージされています。
労働エリアとしては、現在南海電鉄の高架下に
一時移転している職業安定所とともに、
職業訓練や技能講習などの機能も検討されているようです。
住民の福利・にぎわいエリアについては、
まだイメージが具体化していないのだそうです。
もともとの地元の人たちがおらず、よそからの人が
一時的に滞在する状態で何十年も続いてきた町なので、
どんな住民のどんなニーズを満たす場所にするのかを
デザインする作業は、さぞ大変なことでしょう。
豊かな住民が暮らす町にし過ぎると、
そこに暮らせなくなる人たちを生み出すことになる。
かといって、今のままがいいわけではない。
そういうジレンマとともに、まちづくりが進められている
ということが、白波瀬先生のお話からよく理解できました。