メリケンパークのイストワール
神戸港にあるメリケンパークは今年4月、
神戸開港150年を機にリニューアルし、
スターバックスがオープン。芝生広場もできて、
多くの人が訪れる場所になっています。
昨日はここでコーヒーを飲もうと思っていましたが、
行列ができていたので、断念。
この公園は今から30年前、神戸開港120年に合わせて、
メリケン波止場と中突堤の間を埋め立てて作られました。
朗読劇「Port」には、この公園らしき場所が出てきます。
http://floor.d.dooo.jp/hako/
それ以前は、ここは艀(はしけ)溜まりでした。
艀とは、沖合に停泊する本船と波止場の間を行き来し、
乗客や貨物を運ぶ小舟のことです。
かつて神戸港で甲板員、港めぐり遊覧船船長などを務め、
現在は南京町でCAFE & SHOTBAR「気まぐれカモメ」を営む
角本稔さんは、著書「メリケン波止場」の中に、
「はしけとかみさん」というエッセイを書かれています。
昭和40年代頃までは、港内での貨物輸送に不可欠だった
艀に、家族で住みながら働く水上生活者がいました。
そしてそこには、荷役にまつわる船内作業だけでなく、
そこで暮らしていくための様々な労働がありました。
水道も電気もなく、食料の調達には、艀を渡り、
陸に上がり、遠方の市場まで行く必要がありました。
特に正月の買い出しには、子どもを連れて
食料品や正月用品を両手に何度も往復し、
お国自慢のおせち料理を作り、新年を迎えたそうです。
こうした船上での生活は、子どもたちにとっても負担でした。
艀の仕事にはほぼ休みはなかったので、学校に通う年になると、
子どもたちは水上児童寮に寄宿して学校に通い、
土曜日の夕方に艀に帰る生活を送っていました。
遊び盛りの子が艀に帰り、足を滑らせて海に落ち、
水死するという事故もあったそうです。
こうした不自由な艀での生活を改善するため、
神戸市は、海岸通の国産波止場の前に市営住宅を建設しました。
また昭和40年代後半には、コンテナ船の急速な普及により、
艀運送の需要が激減し、国による艀の買取や焼却が進められました。
昨夜は「気まぐれカモメ」を久々に訪れ、
ジェイムソンのボトルを傾けながら、
角本さんにまた色々とお話を伺ってきました。
CAFE & SHOTBAR「気まぐれカモメ」
神戸市中央区元町通2-3-4 078-333-1892
写真右:昭和38年のポートタワー(神戸港振興協会所蔵)