3/19(土)Walkin’About @富田林
次々回のWalkin'Aboutでは、富田林を訪れます。83ヶ所目。
自分が行きたい場所を訪ねるまちあるき「Walkin’About @富田林」
開催日:2022年3月19日(土)
集合時間・場所 14:00 @近鉄長野線富田林駅南改札
再集合時間・場所 16:00 @同上
富田林寺内町は大阪河南全域を流域とする石川の河岸段丘上に立地しており、富田林の名は元々この段丘が「富田が芝」と呼ばれていたことに由来しています。
富田林の歴史は、文明年間(1470年代)に、浄土真宗の一派である興正寺派の蓮教が、本願寺第八代蓮如を助けて南河内地方の村々に布教したことに始まります。永禄元年(1558)、興正寺派第14代証秀上人が、富田が芝の地を高屋城主安見直政から銭百貫文で買取り、近隣の中野村、新堂村、毛人谷村、山中田村の四村の信者達の力により寺内町として整備しました。町の周囲にあった土塁、竹林、環濠は、戦乱から町を守るために築かれたもので、町の入口には木戸口が設けられ、朝夕に開閉したとの記録が残されています。
江戸期になると寺内町のもつ宗教色は徐々に薄れ、周辺地域の農作物の集散と、商業活動に携わる在郷町として発展していきます。特に江戸時代中期以降、近隣の村々で綿作や菜種作が盛んになるにつれ、富田林ではそれらを販売、加工する業種が増え、また酒造業なども盛んになりました。
明治31年、柏原と富田林の間に河陽鉄道が開通し、大正12年には河陽鉄道を吸収した大阪鉄道(現、近鉄長野線)により、大阪市内天王寺への乗り入れが実現します。人口は昭和初期に2万人、昭和25年には3万人を超え、富田林は大阪府下16番目の市となりました。昭和39年、住宅公団による金剛団地の住宅開発が開始され、金剛東ニュータウンの開発も続き、富田林は大阪のベッドタウンとして急激な人口増加をみています。一方で往時の町並みを今も残し、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
今回はこの街を、みなさんの視点で切り取っていただきます。
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“Walkin’About”は、参加者の方々に思い思いのコースをたどっていただく“まちあるき”です。参加者の方々は、集合場所でエリアについての説明を受けたあと解散。約90分後に再び集合いただき、それぞれの見聞や体験をシェアします。
【主催・お問い合わせ】大阪ガス(株)NWカンパニー 都市魅力研究室
担当:山納 Tel 06-6205-2366
http://www.toshimiryoku.jp